こんにちは!南ポルトガル・アルガルブ(algarve)地方の町、Praia da luz在住。フランス料理、フランス菓子ベースのホームデリバリーをやっています。Algarve はアルガルベ、アルガルヴェと日本語では表記されていますが “アルガルブ” が正しい発音です。

日々のこと、ポルトガル・スペイン・フランス、ヨーロッパのこと。言葉に関しては ⇧「フランス語・ポルトガル語」に別ブログで書いてます。⇧「Serge & Satoshi Home delivery」はデリバリーのFBページです。⇧「Paradores/パラドール」にはスペインのパラドールの滞在記をまとめています。

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2024-11-16

そして入院 🏥

そのまま、寝ているのか寝ていないのかよく自分でも分からないような状態で朝(土曜日)7時になりました。自分の寝ているところから壁にかかっている時計が見えた。 
看護師がやってきて抗生物質投与。 
そして考え始めたことは、

 「何か食べたい…」

思えば Lagos の病院に行く前から数日間、ちゃんと食事をとっていない、水分もとっていない。眩暈がひどくて何か食べるものを用意することも、ベッドから出て水を飲むことさえも辛くて面倒になっていたのですよね。
点滴で必要な栄養分はとりあえず体に送られていたのでしょうが、とにかく固形のものを何か食べたい、と強く思いました。

しばらくするとその気持ちを察知したのか、パンとコーヒーを提供してくれました。バターまで塗ってくれて。パンにバターを塗るなんて行為でさえもこの時は難儀だったんです。
別になんてことない普通のただのパンだったはずなのに、そのパンだけは輝いて見えましたよ、ホントに。



でも首の後ろ辺りの手術していて固定されていると口も思うように開けられないんですね。
パン1つ食べるのにえらい時間が掛かりました。
コーヒーも普通ならブラックで飲むのにその時は砂糖入りで。体がエネルギーを求めていたのでしょう。

そこで「午後にCTスキャンで術後検査をして異常がなければ入院病棟へ移る」と説明を受ける。
その時間が来るまで本人はベッドでボーっとしている状態。
麻酔の影響もあるのだと思います。何をする気にも(実際何もできないのだけれど)何を考える気にもなれない。
途中シーツ交換されました。こっちに向かされあっちに向かされ。
「あなたは軽くていいわ」と言われながら(^^;

そうこうしているうちに今度はお昼ご飯が出ました。病院食です。
思ったより「普通」でした。これ、言い方があまり良くないですけどいい意味で「普通に食べられるもの」だった、ということです。病院食だからもっと味気ないものとか流動食のようなものとかイメージしていたんだけれど普通の食事が出てきました。


僕の場合は病気による食事制限があるわけではなかったので特に何か制約があるわけではない一般的な食事が出たんだろうと思います。病気によっては、塩分なし、グルテンなし、脂質なし、とか色々なものがあるんでしょうね、きっと。
その食事を1時間くらいかけていただきました。


それからまたボーっとしたまま検査の時間がやってまいりました。
移動するためにまた違うベッドに移ったのですが、体に別に異常があるわけではないので自力で移動することができました。
「あなた、自力でベッド移れるのね、素晴らしいわ!」と言われながら。
そうですよね、人ひとりをベッドから隣りのベッドに移動させるって4人がかりで重労働ですよね。

MRIがトラウマになり「またあのノイズで20分くらいかかるのか」と思わず尋ねました。
「いや、CTスキャンだからすぐ終わる、大丈夫だ」となだめられ…(^^;

実際すんなり終わりました。すっかりきれいになっていると。どんなにホッとしたことか…

そして入院病棟に連れてこられました(午後6時くらい)。3人部屋の一番窓側。
そういえば Portimão の病院に入院した時も窓際だったなあと思い出しながら。
窓から、Faro空港に到着する飛行機、空港から飛んでいく飛行機が見えました。



本当はこの11月に日本へ行くつもりでいたのですけどね。「あ~あ」と思いながら。
それは「来年までお預け」です。

病室に来て昨日、手術前に預けた自分の私物を渡してもらいました。
それから夕食、もまた時間が掛かる…

今、思えばどんな病院食が出るのか写真の一つも撮っておけばよかったかなって感じだけれどその時はそんなこと考えもしなかったです。

ここに土曜日に入り火曜日に退院することになります。
今回も結局、再認識することになるのですが、なぜか食欲がなくならない。もちろんそれはいいことではあるのだろうけど、ずっとただベッドに一日中寝ているだけなのに、なんでこんなに毎食毎食律義に腹が減るのだろう、と思いました。



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2024-11-07

また突然こんなことに…(^^;

 ただいま、自宅にて療養中。

療養中と言えばまぁ聞こえはいいし実際そうなのだけれど、出来ることが限られていて暇、ひま、ヒマ、である。

掃除の一つもやりたいところだけれど手術の跡がちゃんと治るまでは安静に。といっても首の一部が固定されているようで(自分には見えない)ほとんど動かすことができないので結局何もできないし、どんなにヒマで辛くてもまず完治させることが最優先。下手なことをして転んだり頭を打ったりして手術跡が変なことになってしまったら元も子もないですからね。


静脈瘤、右ひざ骨折に続いてまたまたポルトガルの病院のお世話になりました。まず結論からいうと、迅速な対応、親切なスタッフ、何も文句を言うことはありません。完璧でした。この場でまずお礼を<(_ _)>

結果、一大事ではなかったから言えるけれど、過ぎてみればこれもある意味良い経験でした。


後頭部の締め付けられるような痛み、そして眩暈がゆる~く始まり、最初は夏の仕事の疲れが出たのだろう、風邪の始まりで数日安静にしていれば良くなるだろう、ぐらいの気持ちで様子見をしていたら全く良くならず、良くならないどころかひどくなり眩暈のせいで立っているのもやっとのような状態に。

さすがにこれはただ調子が悪いだけではない、何かがおかしいと近くに住んでいる友人に頼み Lagos の病院の緊急病棟へ。これが木曜日の昼間。

そこで体温、血圧、血液検査、全て異常ナシ。この時点ですでに数日ろくに食事もしていなかったので体力が落ちていたのもあると思います。点滴をされ薬を飲まされそのまましばらく様子見。でも一向に病状は良くならず。

ということで、隣町 Portimão のもっと大きな病院へ連れていかれることに。そこでCTスキャンを取り、この時点でもう夜中になっていてそのまま Portimão の病院のベッドで一泊。

そして翌朝(金曜日)、専門家が Faro の病院にしかいない、ということで Faroの病院に搬送されることに。Portimão の病院までは知っていたけれど Faroの病院は初めて。

ということで結局このアルガルブで一番大きい Faro の病院の緊急病棟に到着。そこで生まれて初めてMRIへ。あれってものすごい色々な音がするんですね。ポルトガル語の音楽が流れているヘッドホンをはめられおよそ20分間、機械の中へ。



ヘッドホンをしていてもMRIの発する音はすさまじく検査が終わる時にはそのせいでぐったりしました。あ~やっと終わってくれた…結構長い時間かかるんですね。

そのままベッドに横になったまま入院病棟へ連れていかれました、と着くや否や専門医と思わしき50代くらいの男性が現れ、

「後頭部にガングリオンができていて、それが神経を圧迫し頭痛や眩暈の原因になっている」

と言われました。へ、そんなものができていたんですか?全く自覚症状はなかったです。医者の言葉は続きます、

「今これからすぐそれを取り除く手術をする」

「へ、今すぐって今の今 (agora mesmo)??」

「そうだ」

ということで荷物は預け、着いたばかりの入院病棟からすぐに出されてそのまま手術病棟へって自分はベッドに横たわっているだけなんですけど。

話の展開が速すぎて「え、ナニ、本当に今から手術するの、え、え??」という感じでした。

そしてあっという間に手術病棟に。

ここで余談ですが、僕の名前 YAMAMOTO はなぜかいつも非常に受けがいいのです。YAMAHA を思わせるのか MOTO (バイク)を連想させるのか知らないけれど、とにかくたいてい一発で覚えてもらえます。まぁ日本人自体ここでは珍しいはずだから日本の名前が珍しいというのもあるはずだけど。ここでもまず執刀医から自己紹介され僕の名前を見て「日本人か?」となりそこから日本の話になり、そしてなんと手術室で日本の音楽まで流してくれました。たどたどしく RYUICHI SAKAMOTO と言ってました。

「あ~、こんなところで坂本龍一の音楽を聴くことになるなんて…」

この時点で金曜日午後3時でした。手術室に運ばれる途中で時計が見えました。そしてこれも人生初の全身麻酔。僕は注射が嫌いなので、痛いのか、全身麻酔は?と思わず聞いたほどです。全然痛くないから大丈夫、大丈夫という医者の言葉。あれって点滴のようなもので注入されるんですね、医者の「じゃあ日本への旅行楽しんで!(Bom voyage para o Japão!)」の言葉を最後に記憶が飛びます。

次の瞬間に意識がおぼろげながら戻りどこかに運ばれているのが分かりました。遠くの方から「名前は?生年月日は?」と聞く声に返答した記憶はあります。

それからしばらくしてうっすらと目を開けると、そこはいわゆる暗くされた集中治療室なのでしょう。そこに横たわっていました。多分金曜日の夜。恐らく麻酔の余韻か、寝ているのと起きているのとの間にいるような気分でした。「あ~手術は終わったのかぁ」。

そこからは定期的に看護師がやってきて、血圧はかったり抗生物質を投与されてり、もうなすがまま状態です。

Lagos の病院へ行ったのはもう遙か昔のように感じられました。昨日のことなのに。

ここで一旦切って次回に続きます(多分)。


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