あ~💦、まさかまさか、骨折してしまうなんて…それは思いもがけなくあっけなく起こるものなんですね。
夜10時過ぎ、友人の家から帰ったら飼い犬が外に出たがったのでちょっと家の周りの散歩、と思い犬と一緒に歩き始めたら少しも行かないところで野良犬に遭遇。ちょっと脅して追っ払おうとその犬の方に向かって走るそぶりを見せたその瞬間、下が砂利道で想定外に足が滑った…!!そしてそのまま見事に前方にスライドするように転倒。
地面に手をつきそしてそのまま少し滑ったので(砂利のために)両手指や手のひらから出血、そして右膝強打。でもこの時点では右膝は見た目軽い擦り傷程度で大した出血も無し、両手の方がむしろ痛かったのです。
それでも出血をなめて消毒しながらしばらく犬と歩き帰宅。まだこの時点では歩くことが出来たのです。
それから15分くらいしてからだろうか、打った右膝が腫れだし痛み出す。でもまだ何とか歩くことができたので歯磨いて寝ることに。
しかし寝ている間に膝の腫れがひどくなってある角度のままそれ以上曲げることもまっすぐに伸ばすことも痛くてできなくなってしまいました。結構インパクトのある腫れ。
ただ腫れてはいるけれでも別に熱もおびていないし痣のように青くもなっていない。骨は折れていないだろう、折れてなければいいなと淡い期待を抱きながら翌日、一緒に住んでいるフランス人の仕事が終わるのを待って午後一番にラゴスの公立病院へ。
二年ぶりの病院
2020年に静脈瘤のために病院でお世話になってから2年。またこんな形で病院のお世話になるなんて…
病院には Urgente (緊急) があって24時間ずっと何かあったらとりあえずここへ行けば診察してもらえます。
ラゴスの病院の入口で車いすに乗せられ、受付を済ませて、その後に恐らく看護師と思われる人に経緯と症状を説明。それからしばらく待っていると医者に呼ばれその医者に会うとすぐにレントゲンを撮ることに。
そこでレントゲン結果を自分で見ることはなかったけれどすぐに膝が骨折していると言われ(ガ~~~ン、淡い期待はあっという間に消える…)ベットに寝かされ足を簡単に固定されました。
それからしばらく待っていると女性が2人やって来て違うベットに移されそのまま病院前に待機していた救急車へ移動。女性2人は救急車の運転手でした。人生初の救急車に乗せられる前にここまで僕を連れてきてくれたフランス人と話し病院に着いてこれからどうなるのか分かったら電話するということで救急車でここから10キロちょっと離れた隣りのもっと大きな街 Portimão にあるもっと大きな病院へ運ばれることとなりました。
Portimão 病院の緊急外来に到着。
救急車の中で少し待たされたけれど結構手際よく病院の中へ運ばれる。ざっと患者30人くらいがベットの上に寝ている広い部屋に運ばれました。
平均年齢はかなり上。みんなどういう理由でここにいるのかは分からないけれど、かなりの歳と思われる人たちがいました。突然泣き出す人がいたり。いきなり到着した自分には結構異様な雰囲気。それを見た感じかなり若い看護師たちが甲斐甲斐しく世話をしていました。
ここでとりあえず採血、血圧、体温、心電図など一通りのことをされた後にいかにもベテラン風情のお医者さんのところへ運ばれ、ここで初めてラゴスで撮ったレントゲン写真を見ることになりました。
全くの素人の僕が見ても分かるように膝のお皿に線が一筋入っていました。
医者の方は当然そんな写真は見慣れているだろうから別に動ずることもなく(当然だ)助手の人たちと一緒に脚をまっすぐにし(痛かった😂)ギブスを嵌められました。
「後で違う病棟に運ぶから」と言われしばらくは最初の大部屋にいることに。
何もすることないし出来ないからボーっとしていると結構次々に新しい患者が入ってきたり出て行ったり。その間にお腹に血栓(エコノミークラス症候群)を防ぐ注射を1つ打たれました。これが妙な具合に痛い。そして後日この注射を自宅で毎日打つように宣告されます😖。
そして入院
それから程なく外もすっかり暗くなってから整形外科病棟の3人部屋に移されました。
部屋の入口側、真ん中、窓側、僕は窓側の33番。ここで日本人を見るのは初めてだ、と言われました。まぁそうでしょうね。
毎日午後5時から30分だけ外部から人が来ることが出来ます、と説明を受ける。それをラゴスの病院に僕を運んでくれたフランス人に連絡。ついでにこの時点ではいつまで病院にいることになるのかも分からなかったから適当に着替えを持ってきてくれるように頼み、この日はもう遅く何となく気持ち的にも疲れていたのでボーっとした気分のまま就寝。しかし結構暑い部屋で汗かきまくり。
翌日、
病院の朝は早い。外はまだ暗い。6時過ぎに電気がつき有無を言わさず検温と血圧を測られる。その後電気が消えしばらくして9時ごろに朝食、と言ってもパンにバターとコーヒーだけ。質素。たまごも無しヨーグルトも無しフルーツも無し。
そして体を洗いましょう、と石鹸水の入った桶とスポンジとタオルを渡される。まぁ洗うというよりもこれで全身拭きましょうってことです。いちお顔から下までそれなりに拭いてタオルで乾かしそれが終わるとシーツ替え。僕はベットに横になったまま左に向いて右に向いて結構器用にシーツを替えてくれました。
でもそれ以外に別にやることもできることもない。隣りの患者と何とはなしに会話をすることに。
てっきりポルトガル人だと思ったら24歳のウクライナ青年。しかもドンバス出身。3年ほど前に伯母と一緒にラゴスに移住したんだそう。家で高いところから落ちたのか転倒したのか両足骨折。しかも複雑骨折だったようで両足共にワイヤーを入れて骨を固定する手術をしたんだそう。写真も見せてくれましたよ。そしてかれこれもう6週間入院しているんだそうです。
こんなポルトガルの外れの街の病院で日本人とウクライナ人が隣り合わせになりポルトガル語で会話している、不思議だね。
しかし両足はきついですよね。僕はまだ片足が固定されているだけだから松葉づえや歩行器でいちお移動はできる、相当不便だけど。僕が病院に着いた時に彼は車いすに乗って移動など始めていたけれど、入院当初は両足固定でほんの少しの移動もできなかったのではないかな。
しかもこれは2日目に知ったけれど彼は入院がこれが2回目。去年すでに右膝骨折で入院したのだそうです。しっかり手術のあとがついていました。ラゴス3年間のうちにすでに2回も入院、しかも結構な怪我。運が悪いというか何んというか。
さぁ、そして食事。病院食なんてこんなものでしょうね。思っていたほどには悪くはなかったけれどとにかく味がない。ほとんど動いていない状況でお腹も大して空くことはなかったからいいけれど。
そして夕方には血栓を予防するための注射。昨日と同じもの。おへそ横に打たれるのですがこれが妙な具合に痛い。注射そのものが痛いのではなくて中の薬品が体に入ってくるその薬品が痛い。傷口をアルコール消毒する時に感じる痛さ、に近い感じ。これが注射が終わった後も2,3分続く感じ。なんとも後味の悪い注射。
で、入院初日は結局何の情報も病院側からないまま。手術が必要なのかいつまで病院にいることになるのか何も新しい情報を得られないまま終わりました。
入院二日目。
翌朝も朝6時過ぎに検温、検血圧。昨日と全く同じように時間が過ぎていき、午後も3時過ぎた頃に突然医者がやって来た。レントゲン写真からもしかしたら手術の必要はないかもしれない、とのこと。お、ちょっと希望が。
とそれから車いすで連れ出されて別の診察室のような部屋で簡易ベットの上へ。そこで右足のギブスが外されて何が始まるのかと思ったら内出血でたまった膝周りの血を抜かれました。膝の横の方からブスっと針を刺され(しかし意外に痛くなかった)結構な血が出てきたようでしっかり見せてくれましたよ。印象としては200mlくらいか。水200mlなら別にどうとも思わないけどボールにたまった血200mlはインパクトありますね。こんな量の血が膝にたまっていたのかと。血を抜いたら膝周りの腫れが一瞬で消えましたよ。
そこで今度はかなりしっかりしたギブスを嵌められ、それが固まったら再度レントゲンへ。その結果を見て手術が必要かどうか見ると言われました。
レントゲンを撮られまた自分の部屋に戻ってそのまま夜が来ても何も進展なし。今日も何も無しか、と思っていたら結構遅くなってから医者がやって来て「きれいに骨折しているから手術の必要はない」と言われ翌日病院を出ることに決まりました。まさに不幸中の幸いです。
そして退院。
ということで同居しているフランス人に電話して午後5時に来てもらうことに。
それまで何か色々説明でもあるか、と思いきや何か言われることもなく午後5時に迎えに来てくれたフランス人の彼がわざわざ受付に聞きに行ってやっと松葉杖を買うこと、血栓を防ぐ注射を買って毎日注射すること (😨😨😨)、11月16日に病院に来ることが分かりました。
注射は自分でやるか誰かにやってもらうか。自分で自分に注射をするなんてとてもできないので(こう言うことが全然平気っていう人もいるんですよね)そのフランス人がどうやるか教えられることに。ちょうど注射する時間だったし。
11月16日まで1ヶ月強ギブス生活。そして毎日腹に注射。
結構退院はあっけない。ウクライナ人の彼に別れを告げ、誰かが付き添ってくれるわけでもなく車いすで自分たちで移動して車を病院入口まで持ってきて、その車にやっとのことで乗り込んで病院を後にしました。
家に帰る途中の薬局で松葉づえと注射を購入。これを毎日一本11月16日まで打たなければならないのか…げんなり。
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿