こんにちは!南ポルトガル・アルガルブ(algarve)地方の町、Praia da luz在住。フランス料理、フランス菓子ベースのホームデリバリーをやっています。Algarve はアルガルベ、アルガルヴェと日本語では表記されていますが “アルガルブ” が正しい発音です。

日々のこと、ポルトガル・スペイン・フランス、ヨーロッパのこと。言葉に関しては ⇧「フランス語・ポルトガル語」に別ブログで書いてます。⇧「Serge & Satoshi Home delivery」はデリバリーのFBページです。⇧「Paradores/パラドール」にはスペインのパラドールの滞在記をまとめています。

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2024-12-08

波に乗ってるポルトガル🛫?


 

何がきっかけになったのか(サーフィンか)、ポルトガルが人気のようでアメリカでもそうらしい。

ちょっと前にリスボン-ソウル間が飛ぶようなった(アジアの国へ直行便は初!)

→ Korean Air


来年はリスボン―ロサンゼルス、ポルト-ボストン の直行便ができるそうな。

→ TAP の新しい航路


そして来年2025年、夏の間はアルガルブ・ファロ空港からニューヨーク直行便。

→ Faro - Ner York


なんだかすごいです。

それに一緒になって不動産バブルはまだしばらく続きそうです。


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2024-11-27

仕事再開にこぎつけました。

退院の日「Faro まで誰か迎えに来れるか?」と聞かれたけれど、さすがにここまで誰かに迎えにきてもらうことは遠くて気が引けたので「いや~なかなか誰も見つからないよ」とちょっと嘘をついて粘っていたら(本当は友人が一人迎えに行くよ、と言ってくれていたのだけど)、Portimão の病院までは連れて行ける、そこから誰かに頼むように、となったのでその友人に Portimão の病院まで迎えに来てもらうことに。

Portimão の病院に運ばれ、そこにその友人に迎えに来てもらった時にはもう夜の7時。家には何も食べるものもない、散らかったまま。そのまま薬局に行って言われた薬を買い、近くのピザ屋でピザを買い、家に帰ってきました。

退院した、と言ってもまだ全然首は回らず、体力もなく、床に落ちているものを拾うのもやっとのような状態。とても料理ができる状況じゃありません。

やっとの思いでピザを半分ほど食べ(それ以上は疲れてしまって食べられなかった)、ベッドに入る。本当はシーツを替えたかったけれどとてもそんな体力はなし。そして後頭部にまだまだフレッシュな手術跡があるからそのせいでぐっすり眠ることもできない。
兎にも角にも「あ~、やっと家に帰ってきたか」という気持ちで一杯。

この時になって、なんだか結構大変な事態になってたんだなぁ、という思いが出てきました(^^;
あっという間に手術、そして入院、全てが本当にあっという間だったから。

翌日はその同じ友人が買い物に行き、パン、卵、牛乳、ヨーグルト、キャベツ、ニンジン、鶏肉などを買ってきてくれました。車の運転なんてとてもまだ無理、な状態だったのでその友人の存在は本当にありがたかったです。大げさじゃなく彼は命を救ってくれましたよ。



その後は近くの診療所で手術跡消毒、そして必要な日数が過ぎて抜糸へ。
抜糸はちょっと緊張したけれど全く痛くなかったです。

手術から3週間ほどたった時に診察のために Faro の病院へ。
順調に回復しているそう。確かに手術跡は抜糸したばかりの頃に比べたらかなりきれいになりました。
でも、まだその跡を中心にして無感覚な部分がある、まだ麻酔が効いているような感じ。そのことを話したら、
「手術で一か所神経を切らなければならなかった。感覚がないのはそのせいだ」
と説明を受けました。
「6か月後、1年後に感覚が戻ってくるかもしれないし、もうずっと戻らないかもしれない」、と。
まぁ、しょうがないですよね。手術跡も含めて何かしら後遺症はあるだろうと思っていたから。数人の友人にそのことを話したら、神経の回復はとても遅く時間が掛かる、らしいですね。気長に待ちます。その前にある程度は慣れると思うので。

半年後、来年の5月にまた検診があります。再発していないか見るために。

手術をしてから約一か月。やっと明日から仕事再開です。

今回でポルトガルの病院にお世話になったのは3度目。迅速、そして優しい応対。
そして今回も薬局で買った薬以外、一切お金を払っていません。こういう事態になった時にお金の心配をしなくて済むのは安心感が違う。ありがたや m(__)m


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2024-11-16

そして入院 🏥

そのまま、寝ているのか寝ていないのかよく自分でも分からないような状態で朝(土曜日)7時になりました。自分の寝ているところから壁にかかっている時計が見えた。 
看護師がやってきて抗生物質投与。 
そして考え始めたことは、

 「何か食べたい…」

思えば Lagos の病院に行く前から数日間、ちゃんと食事をとっていない、水分もとっていない。眩暈がひどくて何か食べるものを用意することも、ベッドから出て水を飲むことさえも辛くて面倒になっていたのですよね。
点滴で必要な栄養分はとりあえず体に送られていたのでしょうが、とにかく固形のものを何か食べたい、と強く思いました。

しばらくするとその気持ちを察知したのか、パンとコーヒーを提供してくれました。バターまで塗ってくれて。パンにバターを塗るなんて行為でさえもこの時は難儀だったんです。
別になんてことない普通のただのパンだったはずなのに、そのパンだけは輝いて見えましたよ、ホントに。



でも首の後ろ辺りの手術していて固定されていると口も思うように開けられないんですね。
パン1つ食べるのにえらい時間が掛かりました。
コーヒーも普通ならブラックで飲むのにその時は砂糖入りで。体がエネルギーを求めていたのでしょう。

そこで「午後にCTスキャンで術後検査をして異常がなければ入院病棟へ移る」と説明を受ける。
その時間が来るまで本人はベッドでボーっとしている状態。
麻酔の影響もあるのだと思います。何をする気にも(実際何もできないのだけれど)何を考える気にもなれない。
途中シーツ交換されました。こっちに向かされあっちに向かされ。
「あなたは軽くていいわ」と言われながら(^^;

そうこうしているうちに今度はお昼ご飯が出ました。病院食です。
思ったより「普通」でした。これ、言い方があまり良くないですけどいい意味で「普通に食べられるもの」だった、ということです。病院食だからもっと味気ないものとか流動食のようなものとかイメージしていたんだけれど普通の食事が出てきました。


僕の場合は病気による食事制限があるわけではなかったので特に何か制約があるわけではない一般的な食事が出たんだろうと思います。病気によっては、塩分なし、グルテンなし、脂質なし、とか色々なものがあるんでしょうね、きっと。
その食事を1時間くらいかけていただきました。


それからまたボーっとしたまま検査の時間がやってまいりました。
移動するためにまた違うベッドに移ったのですが、体に別に異常があるわけではないので自力で移動することができました。
「あなた、自力でベッド移れるのね、素晴らしいわ!」と言われながら。
そうですよね、人ひとりをベッドから隣りのベッドに移動させるって4人がかりで重労働ですよね。

MRIがトラウマになり「またあのノイズで20分くらいかかるのか」と思わず尋ねました。
「いや、CTスキャンだからすぐ終わる、大丈夫だ」となだめられ…(^^;

実際すんなり終わりました。すっかりきれいになっていると。どんなにホッとしたことか…

そして入院病棟に連れてこられました(午後6時くらい)。3人部屋の一番窓側。
そういえば Portimão の病院に入院した時も窓際だったなあと思い出しながら。
窓から、Faro空港に到着する飛行機、空港から飛んでいく飛行機が見えました。



本当はこの11月に日本へ行くつもりでいたのですけどね。「あ~あ」と思いながら。
それは「来年までお預け」です。

病室に来て昨日、手術前に預けた自分の私物を渡してもらいました。
それから夕食、もまた時間が掛かる…

今、思えばどんな病院食が出るのか写真の一つも撮っておけばよかったかなって感じだけれどその時はそんなこと考えもしなかったです。

ここに土曜日に入り火曜日に退院することになります。
今回も結局、再認識することになるのですが、なぜか食欲がなくならない。もちろんそれはいいことではあるのだろうけど、ずっとただベッドに一日中寝ているだけなのに、なんでこんなに毎食毎食律義に腹が減るのだろう、と思いました。



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2024-11-07

また突然こんなことに…(^^;

 ただいま、自宅にて療養中。

療養中と言えばまぁ聞こえはいいし実際そうなのだけれど、出来ることが限られていて暇、ひま、ヒマ、である。

掃除の一つもやりたいところだけれど手術の跡がちゃんと治るまでは安静に。といっても首の一部が固定されているようで(自分には見えない)ほとんど動かすことができないので結局何もできないし、どんなにヒマで辛くてもまず完治させることが最優先。下手なことをして転んだり頭を打ったりして手術跡が変なことになってしまったら元も子もないですからね。


静脈瘤、右ひざ骨折に続いてまたまたポルトガルの病院のお世話になりました。まず結論からいうと、迅速な対応、親切なスタッフ、何も文句を言うことはありません。完璧でした。この場でまずお礼を<(_ _)>

結果、一大事ではなかったから言えるけれど、過ぎてみればこれもある意味良い経験でした。


後頭部の締め付けられるような痛み、そして眩暈がゆる~く始まり、最初は夏の仕事の疲れが出たのだろう、風邪の始まりで数日安静にしていれば良くなるだろう、ぐらいの気持ちで様子見をしていたら全く良くならず、良くならないどころかひどくなり眩暈のせいで立っているのもやっとのような状態に。

さすがにこれはただ調子が悪いだけではない、何かがおかしいと近くに住んでいる友人に頼み Lagos の病院の緊急病棟へ。これが木曜日の昼間。

そこで体温、血圧、血液検査、全て異常ナシ。この時点ですでに数日ろくに食事もしていなかったので体力が落ちていたのもあると思います。点滴をされ薬を飲まされそのまましばらく様子見。でも一向に病状は良くならず。

ということで、隣町 Portimão のもっと大きな病院へ連れていかれることに。そこでCTスキャンを取り、この時点でもう夜中になっていてそのまま Portimão の病院のベッドで一泊。

そして翌朝(金曜日)、専門家が Faro の病院にしかいない、ということで Faroの病院に搬送されることに。Portimão の病院までは知っていたけれど Faroの病院は初めて。

ということで結局このアルガルブで一番大きい Faro の病院の緊急病棟に到着。そこで生まれて初めてMRIへ。あれってものすごい色々な音がするんですね。ポルトガル語の音楽が流れているヘッドホンをはめられおよそ20分間、機械の中へ。



ヘッドホンをしていてもMRIの発する音はすさまじく検査が終わる時にはそのせいでぐったりしました。あ~やっと終わってくれた…結構長い時間かかるんですね。

そのままベッドに横になったまま入院病棟へ連れていかれました、と着くや否や専門医と思わしき50代くらいの男性が現れ、

「後頭部にガングリオンができていて、それが神経を圧迫し頭痛や眩暈の原因になっている」

と言われました。へ、そんなものができていたんですか?全く自覚症状はなかったです。医者の言葉は続きます、

「今これからすぐそれを取り除く手術をする」

「へ、今すぐって今の今 (agora mesmo)??」

「そうだ」

ということで荷物は預け、着いたばかりの入院病棟からすぐに出されてそのまま手術病棟へって自分はベッドに横たわっているだけなんですけど。

話の展開が速すぎて「え、ナニ、本当に今から手術するの、え、え??」という感じでした。

そしてあっという間に手術病棟に。

ここで余談ですが、僕の名前 YAMAMOTO はなぜかいつも非常に受けがいいのです。YAMAHA を思わせるのか MOTO (バイク)を連想させるのか知らないけれど、とにかくたいてい一発で覚えてもらえます。まぁ日本人自体ここでは珍しいはずだから日本の名前が珍しいというのもあるはずだけど。ここでもまず執刀医から自己紹介され僕の名前を見て「日本人か?」となりそこから日本の話になり、そしてなんと手術室で日本の音楽まで流してくれました。たどたどしく RYUICHI SAKAMOTO と言ってました。

「あ~、こんなところで坂本龍一の音楽を聴くことになるなんて…」

この時点で金曜日午後3時でした。手術室に運ばれる途中で時計が見えました。そしてこれも人生初の全身麻酔。僕は注射が嫌いなので、痛いのか、全身麻酔は?と思わず聞いたほどです。全然痛くないから大丈夫、大丈夫という医者の言葉。あれって点滴のようなもので注入されるんですね、医者の「じゃあ日本への旅行楽しんで!(Bom voyage para o Japão!)」の言葉を最後に記憶が飛びます。

次の瞬間に意識がおぼろげながら戻りどこかに運ばれているのが分かりました。遠くの方から「名前は?生年月日は?」と聞く声に返答した記憶はあります。

それからしばらくしてうっすらと目を開けると、そこはいわゆる暗くされた集中治療室なのでしょう。そこに横たわっていました。多分金曜日の夜。恐らく麻酔の余韻か、寝ているのと起きているのとの間にいるような気分でした。「あ~手術は終わったのかぁ」。

そこからは定期的に看護師がやってきて、血圧はかったり抗生物質を投与されてり、もうなすがまま状態です。

Lagos の病院へ行ったのはもう遙か昔のように感じられました。昨日のことなのに。

ここで一旦切って次回に続きます(多分)。


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2024-04-14

Quarteira の和食屋さん

 前回のブログで書いた通りショックでまだ心は落ち着いていない状態ではあるのですが、それでも食欲はそれなりに戻り、浅いながらもそれなりに寝られるようになりました、幸いなことに!

そのショックを受ける前に、今 Praia da luz に来ているスウェーデン人・日本人夫婦と一緒に行こうと予約していた Quarteira にある日本人女性が運営している和食屋さん「Nakamuraya」
気持ちが動転している時点でキャンセルした方がよいか、と思ったけれど、やはり、

このアルガルブの地で暮らしている日本人に会ってみたい和食が食べられる落ちた気持ちに良いだろう、と思い直し昨日行ってきました。



今、住んでいる Praia da luz から高速を使って1時間強。ここに来るのは10年ぶりくらいか。


最近ちょっと不安定な天気が続いていたけれど、この日は快晴。暑かったです。毎年そうだけれど季節が変わる時は一瞬にして変わり、春を通り越して夏が来た!という陽気です。

GPSを使い目的地まで問題なく到着。無料で車を止められる広いスペースもそばにありました。完璧じゃないか。


Quarteira (クアルテイラ)

通りを一本越せばそこは海。海は写真の右側方向です。そして…


そしてNakamuraya 無事に発見。
NakamuraYa (Facebook)

思っていた以上の和風の雰囲気にちょっと興奮気味(^^♪、中に入ると食事をするテーブルがありその奥に調理場。そこでここの料理長エミコさんと着物姿でご対面。こんなところで着物を着た日本人に会うなんて!
壁には浮世絵のような額が飾られており(お母さま作だそう)、完全プライベートスペース。予約制なので他にお客さんはいません。そして予算を希望に合わせてメニューを作ってくれます。
さて、そのメニューは?


小鉢・白和え、キュウリとアスパラガスのもろみソース

いきなり完全「和」の一品。もろみも手作りだそう。わかめと豆腐の和え物。ホットしますね。



肴・〆鯖の燻製

この〆鯖と生姜の組み合わせがどうしようもなく美味しかった!(^^)!
日本にいる時に〆鯖が食べたい、などと思わないのですけどね。久しぶりの和食に感度が上がっていたのでしょう。


焼き・コウイカと筍の照り焼き

ここで筍が食べられるなんて…

生はないけれど火の通ったものが真空パックで売っているらしいです。いや、もっと色々な店を物色しないとダメですね。最近は納豆でさえ見つけられるそう。そういえばこの前も家のそばのスーパーで Shirataki が売っていました。全然、中国系でもなんでもないこちらの普通のスーパーでですよ。誰が買って食べるのだろう?



メイン・地鶏の水炊き

テーブルでお鍋を使ってライブで作ってくれてそしてサービスしてくれました。普通のと味噌味2種類。「あ~日本の味」。白菜はやはりこのような料理に合いますね。そして手作りポン酢がこれまたどうしようもなく美味しかった。



締め・うどん

これはリクエストしました。水炊きの中でうどんを煮る。お決まりです。十分満足できる量でございました。



デザート・あんこ菓子
いちご風味のマシュマロとあんこが入ったパイ菓子。ご自身でブレンドしたという玄米茶と一緒に。あんこも嬉しいですね。


いかがでしょうか。本当にしっかりした和食でした。

来るかどうしようか、とてもショックで食べる気にもなれそうにないからキャンセルしてしまおうか、という気持ちを抑えてやってきて良かったです。
また一人の日本人と知り合い、美味しい食事を食べ、会話をし、何とかこの状況に対処しようという気に少しずつなっていくことができるような気がします。

落ち込んだままではいられません。一通り落ち込んだらそこから上がっていかなければね。
ごちそうさまでした!


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2024-04-06

それは“本当に”突然やって来た!(*_*)

 予期してなかった、晴天の霹靂とはこういうことか?!

一緒に仕事をしているフランス人が以前住んでいたタヒチに行くことに決めた。

タヒチの知り合いからそのフランス人に「あるホテルのレストランのシェフをやらないか」とオファーがあった、という話を聞かされたのが2日前のこと。

そして昨日の朝、「オファーを受けることに決めた、タヒチに行くことに決めた」だって。

じゃあ今二人でやっている仕事は終わり??僕はどうするの???😦😟😢😨

彼の言い分というか考え方としては、今の仕事は個人事業で不安定。それに病気やけがをしても保証はない。そんな時にこのホテルの仕事のオファーをもらい受けることにした。

 

もう何が何だか分からない。今朝ショックを受けたばかりだからまだ何も考えることができない。色々考えなきゃいけないことやらなければいけないことがあるはずなのに集中できない。本当に珍しくお昼も夜も何も食べられなかった…


仕事はどうする、今の仕事を一人でそのまま継続することはできない、何か探さないといけない、でもどこで?ここで?リスボンとかどこか違うところで?それとも日本で?

当面のお金はある、少し落ち着いてからゆっくり考えてほしい、フランス語や英語ができるのだからそれを活用して日本でガイドをする手もあるだろう、お前にはそれが合っている、と相手から言われても「うん、そうだね」とはいかない。動転している。


できるだけ早く現実を受け止めて具体的に考えていかないと…!辛い辛い…

人生って今日あしたにもこんな風に状況が変わってしまうものなんだね。


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2024-01-01

謹賀新年 2024 辰年🐉

 

Praia da luz の風景

年が明けました。おめでとうございます。

いつも通り仕事をして普通に年を越しました。

今年ヨーロッパはEU議員の選挙、そして年末にアメリカ大統領選挙、いまだに終わりが見えない2つの戦争と穏やかからはほど遠いですね。

今年もよろしくお願いいたします。


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