何がきっかけになったのか(サーフィンか)、ポルトガルが人気のようでアメリカでもそうらしい。
ちょっと前にリスボン-ソウル間が飛ぶようなった(アジアの国へ直行便は初!)
来年はリスボン―ロサンゼルス、ポルト-ボストン の直行便ができるそうな。
そして来年2025年、夏の間はアルガルブ・ファロ空港からニューヨーク直行便。
なんだかすごいです。
それに一緒になって不動産バブルはまだしばらく続きそうです。
こんにちは!南ポルトガル・アルガルブ(algarve)地方の町、Praia da luz在住。フランス料理、フランス菓子ベースのホームデリバリーをやっています。Algarve はアルガルベ、アルガルヴェと日本語では表記されていますが “アルガルブ” が正しい発音です。
日々のこと、ポルトガル・スペイン・フランス、ヨーロッパのこと。言葉に関しては ⇧「フランス語・ポルトガル語」に別ブログで書いてます。⇧「Serge & Satoshi Home delivery」はデリバリーのFBページです。⇧「Paradores/パラドール」にはスペインのパラドールの滞在記をまとめています。
何がきっかけになったのか(サーフィンか)、ポルトガルが人気のようでアメリカでもそうらしい。
ちょっと前にリスボン-ソウル間が飛ぶようなった(アジアの国へ直行便は初!)
来年はリスボン―ロサンゼルス、ポルト-ボストン の直行便ができるそうな。
そして来年2025年、夏の間はアルガルブ・ファロ空港からニューヨーク直行便。
なんだかすごいです。
それに一緒になって不動産バブルはまだしばらく続きそうです。
ただいま、自宅にて療養中。
療養中と言えばまぁ聞こえはいいし実際そうなのだけれど、出来ることが限られていて暇、ひま、ヒマ、である。
掃除の一つもやりたいところだけれど手術の跡がちゃんと治るまでは安静に。といっても首の一部が固定されているようで(自分には見えない)ほとんど動かすことができないので結局何もできないし、どんなにヒマで辛くてもまず完治させることが最優先。下手なことをして転んだり頭を打ったりして手術跡が変なことになってしまったら元も子もないですからね。
静脈瘤、右ひざ骨折に続いてまたまたポルトガルの病院のお世話になりました。まず結論からいうと、迅速な対応、親切なスタッフ、何も文句を言うことはありません。完璧でした。この場でまずお礼を<(_ _)>
結果、一大事ではなかったから言えるけれど、過ぎてみればこれもある意味良い経験でした。
後頭部の締め付けられるような痛み、そして眩暈がゆる~く始まり、最初は夏の仕事の疲れが出たのだろう、風邪の始まりで数日安静にしていれば良くなるだろう、ぐらいの気持ちで様子見をしていたら全く良くならず、良くならないどころかひどくなり眩暈のせいで立っているのもやっとのような状態に。
さすがにこれはただ調子が悪いだけではない、何かがおかしいと近くに住んでいる友人に頼み Lagos の病院の緊急病棟へ。これが木曜日の昼間。
そこで体温、血圧、血液検査、全て異常ナシ。この時点ですでに数日ろくに食事もしていなかったので体力が落ちていたのもあると思います。点滴をされ薬を飲まされそのまましばらく様子見。でも一向に病状は良くならず。
ということで、隣町 Portimão のもっと大きな病院へ連れていかれることに。そこでCTスキャンを取り、この時点でもう夜中になっていてそのまま Portimão の病院のベッドで一泊。
そして翌朝(金曜日)、専門家が Faro の病院にしかいない、ということで Faroの病院に搬送されることに。Portimão の病院までは知っていたけれど Faroの病院は初めて。
ということで結局このアルガルブで一番大きい Faro の病院の緊急病棟に到着。そこで生まれて初めてMRIへ。あれってものすごい色々な音がするんですね。ポルトガル語の音楽が流れているヘッドホンをはめられおよそ20分間、機械の中へ。
ヘッドホンをしていてもMRIの発する音はすさまじく検査が終わる時にはそのせいでぐったりしました。あ~やっと終わってくれた…結構長い時間かかるんですね。
そのままベッドに横になったまま入院病棟へ連れていかれました、と着くや否や専門医と思わしき50代くらいの男性が現れ、
「後頭部にガングリオンができていて、それが神経を圧迫し頭痛や眩暈の原因になっている」
と言われました。へ、そんなものができていたんですか?全く自覚症状はなかったです。医者の言葉は続きます、
「今これからすぐそれを取り除く手術をする」
「へ、今すぐって今の今 (agora mesmo)??」
「そうだ」
ということで荷物は預け、着いたばかりの入院病棟からすぐに出されてそのまま手術病棟へって自分はベッドに横たわっているだけなんですけど。
話の展開が速すぎて「え、ナニ、本当に今から手術するの、え、え??」という感じでした。
そしてあっという間に手術病棟に。
ここで余談ですが、僕の名前 YAMAMOTO はなぜかいつも非常に受けがいいのです。YAMAHA を思わせるのか MOTO (バイク)を連想させるのか知らないけれど、とにかくたいてい一発で覚えてもらえます。まぁ日本人自体ここでは珍しいはずだから日本の名前が珍しいというのもあるはずだけど。ここでもまず執刀医から自己紹介され僕の名前を見て「日本人か?」となりそこから日本の話になり、そしてなんと手術室で日本の音楽まで流してくれました。たどたどしく RYUICHI SAKAMOTO と言ってました。
「あ~、こんなところで坂本龍一の音楽を聴くことになるなんて…」
この時点で金曜日午後3時でした。手術室に運ばれる途中で時計が見えました。そしてこれも人生初の全身麻酔。僕は注射が嫌いなので、痛いのか、全身麻酔は?と思わず聞いたほどです。全然痛くないから大丈夫、大丈夫という医者の言葉。あれって点滴のようなもので注入されるんですね、医者の「じゃあ日本への旅行楽しんで!(Bom voyage para o Japão!)」の言葉を最後に記憶が飛びます。
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次の瞬間に意識がおぼろげながら戻りどこかに運ばれているのが分かりました。遠くの方から「名前は?生年月日は?」と聞く声に返答した記憶はあります。
それからしばらくしてうっすらと目を開けると、そこはいわゆる暗くされた集中治療室なのでしょう。そこに横たわっていました。多分金曜日の夜。恐らく麻酔の余韻か、寝ているのと起きているのとの間にいるような気分でした。「あ~手術は終わったのかぁ」。
そこからは定期的に看護師がやってきて、血圧はかったり抗生物質を投与されてり、もうなすがまま状態です。
Lagos の病院へ行ったのはもう遙か昔のように感じられました。昨日のことなのに。
ここで一旦切って次回に続きます(多分)。
今、住んでいる Praia da luz から高速を使って1時間強。ここに来るのは10年ぶりくらいか。
最近ちょっと不安定な天気が続いていたけれど、この日は快晴。暑かったです。毎年そうだけれど季節が変わる時は一瞬にして変わり、春を通り越して夏が来た!という陽気です。
GPSを使い目的地まで問題なく到着。無料で車を止められる広いスペースもそばにありました。完璧じゃないか。
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Quarteira (クアルテイラ) 通りを一本越せばそこは海。海は写真の右側方向です。そして… そしてNakamuraya 無事に発見。 NakamuraYa (Facebook) 思っていた以上の和風の雰囲気にちょっと興奮気味(^^♪、中に入ると食事をするテーブルがありその奥に調理場。そこでここの料理長エミコさんと着物姿でご対面。こんなところで着物を着た日本人に会うなんて! 壁には浮世絵のような額が飾られており(お母さま作だそう)、完全プライベートスペース。予約制なので他にお客さんはいません。そして予算を希望に合わせてメニューを作ってくれます。 さて、そのメニューは? 小鉢・白和え、キュウリとアスパラガスのもろみソース いきなり完全「和」の一品。もろみも手作りだそう。わかめと豆腐の和え物。ホットしますね。 肴・〆鯖の燻製 この〆鯖と生姜の組み合わせがどうしようもなく美味しかった!(^^)! 焼き・コウイカと筍の照り焼き ここで筍が食べられるなんて… 生はないけれど火の通ったものが真空パックで売っているらしいです。いや、もっと色々な店を物色しないとダメですね。最近は納豆でさえ見つけられるそう。そういえばこの前も家のそばのスーパーで Shirataki が売っていました。全然、中国系でもなんでもないこちらの普通のスーパーでですよ。誰が買って食べるのだろう? メイン・地鶏の水炊き テーブルでお鍋を使ってライブで作ってくれてそしてサービスしてくれました。普通のと味噌味2種類。「あ~日本の味」。白菜はやはりこのような料理に合いますね。そして手作りポン酢がこれまたどうしようもなく美味しかった。 締め・うどん これはリクエストしました。水炊きの中でうどんを煮る。お決まりです。十分満足できる量でございました。 デザート・あんこ菓子 いちご風味のマシュマロとあんこが入ったパイ菓子。ご自身でブレンドしたという玄米茶と一緒に。あんこも嬉しいですね。 いかがでしょうか。本当にしっかりした和食でした。 来るかどうしようか、とてもショックで食べる気にもなれそうにないからキャンセルしてしまおうか、という気持ちを抑えてやってきて良かったです。 また一人の日本人と知り合い、美味しい食事を食べ、会話をし、何とかこの状況に対処しようという気に少しずつなっていくことができるような気がします。 落ち込んだままではいられません。一通り落ち込んだらそこから上がっていかなければね。 ごちそうさまでした! |
予期してなかった、晴天の霹靂とはこういうことか?!
一緒に仕事をしているフランス人が以前住んでいたタヒチに行くことに決めた。
タヒチの知り合いからそのフランス人に「あるホテルのレストランのシェフをやらないか」とオファーがあった、という話を聞かされたのが2日前のこと。
そして昨日の朝、「オファーを受けることに決めた、タヒチに行くことに決めた」だって。
じゃあ今二人でやっている仕事は終わり??僕はどうするの???😦😟😢😨
彼の言い分というか考え方としては、今の仕事は個人事業で不安定。それに病気やけがをしても保証はない。そんな時にこのホテルの仕事のオファーをもらい受けることにした。
もう何が何だか分からない。今朝ショックを受けたばかりだからまだ何も考えることができない。色々考えなきゃいけないことやらなければいけないことがあるはずなのに集中できない。本当に珍しくお昼も夜も何も食べられなかった…
仕事はどうする、今の仕事を一人でそのまま継続することはできない、何か探さないといけない、でもどこで?ここで?リスボンとかどこか違うところで?それとも日本で?
当面のお金はある、少し落ち着いてからゆっくり考えてほしい、フランス語や英語ができるのだからそれを活用して日本でガイドをする手もあるだろう、お前にはそれが合っている、と相手から言われても「うん、そうだね」とはいかない。動転している。
できるだけ早く現実を受け止めて具体的に考えていかないと…!辛い辛い…
人生って今日あしたにもこんな風に状況が変わってしまうものなんだね。