こんにちは!南ポルトガル・アルガルブ(algarve)地方の町、Praia da luz在住。フランス料理、フランス菓子ベースのホームデリバリーをやっています。Algarve はアルガルベ、アルガルヴェと日本語では表記されていますが “アルガルブ” が正しい発音です。

日々のこと、ポルトガル・スペイン・フランス、ヨーロッパのこと。言葉に関しては ⇧「フランス語・ポルトガル語」に別ブログで書いてます。⇧「Serge & Satoshi Home delivery」はデリバリーのFBページです。⇧「Paradores/パラドール」にはスペインのパラドールの滞在記をまとめています。

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2024-11-27

仕事再開にこぎつけました。

退院の日「Faro まで誰か迎えに来れるか?」と聞かれたけれど、さすがにここまで誰かに迎えにきてもらうことは遠くて気が引けたので「いや~なかなか誰も見つからないよ」とちょっと嘘をついて粘っていたら(本当は友人が一人迎えに行くよ、と言ってくれていたのだけど)、Portimão の病院までは連れて行ける、そこから誰かに頼むように、となったのでその友人に Portimão の病院まで迎えに来てもらうことに。

Portimão の病院に運ばれ、そこにその友人に迎えに来てもらった時にはもう夜の7時。家には何も食べるものもない、散らかったまま。そのまま薬局に行って言われた薬を買い、近くのピザ屋でピザを買い、家に帰ってきました。

退院した、と言ってもまだ全然首は回らず、体力もなく、床に落ちているものを拾うのもやっとのような状態。とても料理ができる状況じゃありません。

やっとの思いでピザを半分ほど食べ(それ以上は疲れてしまって食べられなかった)、ベッドに入る。本当はシーツを替えたかったけれどとてもそんな体力はなし。そして後頭部にまだまだフレッシュな手術跡があるからそのせいでぐっすり眠ることもできない。
兎にも角にも「あ~、やっと家に帰ってきたか」という気持ちで一杯。

この時になって、なんだか結構大変な事態になってたんだなぁ、という思いが出てきました(^^;
あっという間に手術、そして入院、全てが本当にあっという間だったから。

翌日はその同じ友人が買い物に行き、パン、卵、牛乳、ヨーグルト、キャベツ、ニンジン、鶏肉などを買ってきてくれました。車の運転なんてとてもまだ無理、な状態だったのでその友人の存在は本当にありがたかったです。大げさじゃなく彼は命を救ってくれましたよ。



その後は近くの診療所で手術跡消毒、そして必要な日数が過ぎて抜糸へ。
抜糸はちょっと緊張したけれど全く痛くなかったです。

手術から3週間ほどたった時に診察のために Faro の病院へ。
順調に回復しているそう。確かに手術跡は抜糸したばかりの頃に比べたらかなりきれいになりました。
でも、まだその跡を中心にして無感覚な部分がある、まだ麻酔が効いているような感じ。そのことを話したら、
「手術で一か所神経を切らなければならなかった。感覚がないのはそのせいだ」
と説明を受けました。
「6か月後、1年後に感覚が戻ってくるかもしれないし、もうずっと戻らないかもしれない」、と。
まぁ、しょうがないですよね。手術跡も含めて何かしら後遺症はあるだろうと思っていたから。数人の友人にそのことを話したら、神経の回復はとても遅く時間が掛かる、らしいですね。気長に待ちます。その前にある程度は慣れると思うので。

半年後、来年の5月にまた検診があります。再発していないか見るために。

手術をしてから約一か月。やっと明日から仕事再開です。

今回でポルトガルの病院にお世話になったのは3度目。迅速、そして優しい応対。
そして今回も薬局で買った薬以外、一切お金を払っていません。こういう事態になった時にお金の心配をしなくて済むのは安心感が違う。ありがたや m(__)m


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2024-11-16

そして入院 🏥

そのまま、寝ているのか寝ていないのかよく自分でも分からないような状態で朝(土曜日)7時になりました。自分の寝ているところから壁にかかっている時計が見えた。 
看護師がやってきて抗生物質投与。 
そして考え始めたことは、

 「何か食べたい…」

思えば Lagos の病院に行く前から数日間、ちゃんと食事をとっていない、水分もとっていない。眩暈がひどくて何か食べるものを用意することも、ベッドから出て水を飲むことさえも辛くて面倒になっていたのですよね。
点滴で必要な栄養分はとりあえず体に送られていたのでしょうが、とにかく固形のものを何か食べたい、と強く思いました。

しばらくするとその気持ちを察知したのか、パンとコーヒーを提供してくれました。バターまで塗ってくれて。パンにバターを塗るなんて行為でさえもこの時は難儀だったんです。
別になんてことない普通のただのパンだったはずなのに、そのパンだけは輝いて見えましたよ、ホントに。



でも首の後ろ辺りの手術していて固定されていると口も思うように開けられないんですね。
パン1つ食べるのにえらい時間が掛かりました。
コーヒーも普通ならブラックで飲むのにその時は砂糖入りで。体がエネルギーを求めていたのでしょう。

そこで「午後にCTスキャンで術後検査をして異常がなければ入院病棟へ移る」と説明を受ける。
その時間が来るまで本人はベッドでボーっとしている状態。
麻酔の影響もあるのだと思います。何をする気にも(実際何もできないのだけれど)何を考える気にもなれない。
途中シーツ交換されました。こっちに向かされあっちに向かされ。
「あなたは軽くていいわ」と言われながら(^^;

そうこうしているうちに今度はお昼ご飯が出ました。病院食です。
思ったより「普通」でした。これ、言い方があまり良くないですけどいい意味で「普通に食べられるもの」だった、ということです。病院食だからもっと味気ないものとか流動食のようなものとかイメージしていたんだけれど普通の食事が出てきました。


僕の場合は病気による食事制限があるわけではなかったので特に何か制約があるわけではない一般的な食事が出たんだろうと思います。病気によっては、塩分なし、グルテンなし、脂質なし、とか色々なものがあるんでしょうね、きっと。
その食事を1時間くらいかけていただきました。


それからまたボーっとしたまま検査の時間がやってまいりました。
移動するためにまた違うベッドに移ったのですが、体に別に異常があるわけではないので自力で移動することができました。
「あなた、自力でベッド移れるのね、素晴らしいわ!」と言われながら。
そうですよね、人ひとりをベッドから隣りのベッドに移動させるって4人がかりで重労働ですよね。

MRIがトラウマになり「またあのノイズで20分くらいかかるのか」と思わず尋ねました。
「いや、CTスキャンだからすぐ終わる、大丈夫だ」となだめられ…(^^;

実際すんなり終わりました。すっかりきれいになっていると。どんなにホッとしたことか…

そして入院病棟に連れてこられました(午後6時くらい)。3人部屋の一番窓側。
そういえば Portimão の病院に入院した時も窓際だったなあと思い出しながら。
窓から、Faro空港に到着する飛行機、空港から飛んでいく飛行機が見えました。



本当はこの11月に日本へ行くつもりでいたのですけどね。「あ~あ」と思いながら。
それは「来年までお預け」です。

病室に来て昨日、手術前に預けた自分の私物を渡してもらいました。
それから夕食、もまた時間が掛かる…

今、思えばどんな病院食が出るのか写真の一つも撮っておけばよかったかなって感じだけれどその時はそんなこと考えもしなかったです。

ここに土曜日に入り火曜日に退院することになります。
今回も結局、再認識することになるのですが、なぜか食欲がなくならない。もちろんそれはいいことではあるのだろうけど、ずっとただベッドに一日中寝ているだけなのに、なんでこんなに毎食毎食律義に腹が減るのだろう、と思いました。



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