こんにちは!南ポルトガル・アルガルブ(algarve)地方の町、Praia da luz在住。フランス料理、フランス菓子ベースのホームデリバリーをやっています。Algarve はアルガルベ、アルガルヴェと日本語では表記されていますが “アルガルブ” が正しい発音です。

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2020-07-10

ポルトガルの医療システム体験レポート~手術に至るまで


病院


この度、数年に渡る立ち仕事が原因と見られる「Veia varicosa」というものを患い、ポルトガルの医療機関にお世話になりました。

「Veia varicosa」、調べたら日本語での病名は「下肢静脈瘤」。
この名前だけを見るとすぐに動脈瘤を連想するけれども、言葉は似ていても全くタイプの違う病気です。

「下肢静脈瘤とは?」


ちょっとだけ調べた浅い知識だけれども…

心臓から動脈を通って体の隅々まで運ばれた血液は、細胞に酸素を渡すと同時に二酸化炭素、その他不要物を受け取り静脈を通ってまた心臓に戻っていきます。
動脈を流れていく血液は心臓というポンプから押し出されるために勢いがあり、ちゃんと流れていくけれど、体の末端から心臓へ向かう静脈を流れる血液は勢いが弱くなっています。それでもちゃんと体の末端から心臓へ血液が問題なく流れていくように弁が付いています。この弁があるために血液が逆流することなく心臓まで運ばれていくのだそうです。

しかし、何らかの理由でこの弁がうまく機能しなくなると、血液の逆流が起こり、それにより静脈が肥大し始め、本来排泄されるはずの二酸化炭素、その他の老廃物がちゃんと体外に排泄されず、体のどこか静脈が肥大した場所に溜まっていくのだそうです。一番よく見られるのは足のくるぶし周り。

足は心臓(ポンプ)から最も遠いため、足先から心臓まで血液が逆流することなく流れるためには、この静脈にある弁がとても重要な役割を果たします。


この弁がなぜ機能不全になるのか、
先天的欠陥(遺伝によるもの)、
強い衝撃を受ける、
長い立ち仕事、
等、考えられるようだけれども、これだ!というはっきりとした原因は分かっていないそうです。


先天的といっても親類縁者の中に僕が知る限り、この病気になった人はいないし、僕が知らないだけか、あるいは脚の静脈にもともと弱点は持っていて、それが長年の立ち仕事で発露してしまったってことかもしれないですね。潜在的因子はあっても僕の仕事がデスクワークだったらこの病気にはならなかったかも?!しれないですね。


さて、徐々に老廃物がたまりだすと、まず青あざのようなものが左足内側のくるぶし付近に出てきました。
この青あざはもう数年前から気づいていて、気にはなっていたのだけれど、別段痛いわけでもないし、足がだるくなったり重く感じられたりすることもなく、歩くにも走るにも全く支障はなかったので放っておいたのです(当時は下肢静脈瘤というものを知らなかったし)。

するともうかれこれ1年以上前になるけれども、青あざの上に針の先ほどの本当に小さな外傷が出てきました。
それが見た目からは想像できないほどに異様に痛い。

ここでちょっとネットで調べたら、まさしく「下肢静脈瘤」の典型的な症状。たまりにたまった老廃物がついには皮膚組織を破壊して潰瘍となって現れるのだそうです。
非常に小さかったけれども、この潰瘍ができてから痛みで普通に歩けなくなりました。びっこを引いて歩くようになり、もちろん走ることなど痛くてできません。

さすがにどうにかしなければと思い、ポルトガルに来てから初めて医療機関のお世話になることになりました。
同時にポルトガルでは病気や怪我をした時にどうすればよいのか、そのいい経験にもなったのでここに記録しておきたいと思います。


まず、僕はポルトガルの定める社会保障制度に入っていて(これは義務というか強制)、個人的にプライベートの保険などには入っていません。
特にここに住んでいる外国のリタイア組は、ほとんどの場合、プライベートの保険に入っているので、そういう人たちは直接プライベートの病院なりクリニックに行きます。
もちろん、それらの病院は公立病院よりずっと高いです。その代わり迅速だと思います。

僕は先に書いた通り、プライベートの保険には入っていないので、ポルトガルの公の医療制度がどのように機能しているのか、かなり長くなってしまうけれど、自分の覚えている限りの細かいところまで、ここに書いていきたいと思います。

医者が必要な時は。

10人の医者

まずは「Centro de Saúde」か「公立病院のUregente」へ

医者に診てもらいたい、と思ったら基本的には各市町村にある「Centro de Saúde」というところへ行きます。直訳すると‟健康センター“という意味だけれど、サウナやマッサージがあるところではなく、日本でいう一般内科医と看護師がいるところで、まずここで診てもらい、病気なり怪我の深刻度によりその後どうするかを決めます。

しかし、そこへ行ったからといってその場ですぐに診てもらえるとは限りません。大抵、いつも混んでいるのでよっぽど緊急と見られない限り、予約を取って後日来ることになります。
ここで、初診だといわゆるかかりつけのお医者さんを割り当てられます。

そして、郵便局や銀行のように週末は閉まっています。ですから週末に病気や怪我をしてしまった場合、あるいはとにかくその日のうちに確実に診てもらいたい、と思ったら「公立病院のUregente(緊急)」へ行かなければなりません。ここは週7日24時間ずっと開いています。
そこへ行くと、まず受付で大体の容態を伝え、順番がきしだい医者に診てもらえます。
ここで混んでいなければすぐに診てもらえるし、混んでいれば待たなければなりません。
ただ、待ってさえいれば必ず診てもらえます。

僕は潰瘍ができ始めた時に、どこへ行けばいいのかよく分からなかったので「公立病院のUrgente」へ行きました。
そこで応急手当をうけ、診断書のようなものを渡され、それを持って「Centro de Saúde」に行くように言われました。

値段は3€だったか4€だったか、とにかく安かったです。

担当の医者が決まるまで

「Centro de Saúde」に行き、病院で渡された用紙を受付で渡してから、週2~3回の患部の手当通いが始まりました。
3月に潰瘍ができ始めてから、やっと担当の医者を割り当ててもらった8月末まで6か月間、通いまいした。この間ずっと仕事で立ちっぱなしだったので潰瘍はひどくなることこそなかったけれど、改善することはなくずっと週2~3回の「Centro de Saúde」通い。お陰でほとんどの人に顔を覚えられました。

この間、一度見てもらうと大体 1.50ユーロ(約180円) とか 2.50(約305円)ユーロとか毎回同じことをやっているようにしか見えなかったけれど、値段がまちまちでした。
しばらくすると、毎回来るたびに払わなくても、1週間あるいはそれ以上をまとめて払えばいい、と受付で言われそうするようにしたら、時に、「何も払うものはないよ」と言われた時もありました。どういう値段体制になっているのかついぞ分かりませんでした。


諸々の検査


検査の場所には自分で

初見だったこともあり、色々な基礎データを集めて僕のカルテを作るためだったのだろうけど、担当医(女性)に会ったら、まず血液検査、胸部X線、心電図、そして足の状態を見るためのドップラー検査と大量の処方箋を渡されました。

これらの検査を行う施設は「Centro de Saúde」内にはありません。
受付で検査ができる場所を教えてもらえるので、そこまで処方箋を持っていき、予約を入れ、その予約の日に検査を受けに行き、後日指定された日に結果を取りに行き、それを持って「Centro de Saúde」に戻り担当医との予約を取り、その予約の日に結果を担当医に渡す、という手順を踏みます。

更に検査内容によって場所が違います。1か所で全てをやってくれるわけではありません。
今回の僕の場合、
  • 心電図はラゴスの公立病院
  • 血液検査はラゴス市内のクリニック
  • 胸部のX線とドップラー検査は隣町 Portimão(ポルチマォン)にあるクリニック
まで行かねばならず、全部が揃って、再び担当医に会うまでに1ヶ月以上かかりました。
その間も、足の手当は週2~3度してもらいながらも痛いままです。

ついでに、今回お世話になったこれらの病院やクリニックの人たちは僕のつたないポルトガル語に嫌な顔や変な態度1つ取ることなく、とても親切に対応してくれました。

これらの処方箋を持って、プライベートの病院へ行くことも可能です。恐らくその場で全ての検査ができると思います。ただし、値段が違います。
僕が知りえた限り、例えば胸部X線はプライベートの病院では25ユーロ(約3,000円)、国指定の機関でやってもらうと1.80ユーロ(約200円)です。

ここが国の社会保障を使うか、プライベートの保険を払ってプライベートの病院へ行くかの大きな違いだと思います。
プライベートの病院へ行けば、ほぼすべての施設が揃っているので、検査も治療もずっと早いはずです。ただし、値段はゼロ2つくらいも違います。

その後、やっと専門医へ

そうして、言われた検査結果を全て持って担当医に会いに行くと、そこでやっと手術をした方がいい、と言われ、手術を受けたいかどうか、聞かれました。
ほっといても自然に治る病気ではないので答えはもちろん「YES」。

そこで担当医が直接パソコンで公立病院の専門医へ診療の打診をします。

そして、いずれ病院から連絡があるからそれを待つように、を言われ最後に、
Pode esperar...(待つわよ)
と一言、付け加えられました。


くるぶし付近に明らかな問題が出始めて「Centro de Saúde」に最初に行ったのが4月。担当医に公立病院へ受診の申請がされたのが9月末。すでにか6月も経っていました。


専門医の診断


ラゴスの専門医

待つこと1ヶ月、つまり10月末、病院から手紙が届きました。
専門医の受診の申請を受け付けました、日時は11月25日、場所は…云々
担当医が診察の申請をしてから1か月後に手紙を受け取り、その診察の予約日は更に1ヶ月先。

長い!
とにかく待たされる。

これが国の社会保障を使う時の最大の難点ですね。とにかく緊急とみなされなければ待たされます。
正直、この頃にはもうびっこを引いて歩く状態に慣れてしまっていました。😅人間、どんな状況にも順応してしまう~~~。
でも同時に、逆に考えれば緊急ではない、重い病気ではないってことなのでそういう意味では安心といったら変だけど、あまり待つことにストレスは感じなくなっていました。


そして、晴れて11月25日、ラゴスの公立病院で専門医とのご対面。
診断自体はあっという間に終わりました。
患部を見せ、ドップラーの結果を見せ、手術した方がいい、手術したいか?
と担当医と同じ質問をされ(患者に決定権を持たせるようになっているんでしょうね)、答えはもちろん「YES」なので今度は彼がパソコンを通してどこかに手術申請を行いました。

この50代半ばとおぼしきお医者さん(男性)もとても感じの良い人で、
com a operação, vai desaparecer.(手術すれば症状は消えるよ)
と言ってくれました。


診察はこれで終わり、また病院から連絡が来るのを待つようにと言われました。
待ちます、待ちます、いくらでも待ちますよ~(^^♪

そして、それから何の音沙汰もないまま2020年になり11月25日の診察から1ヶ月半ほど経った時に、国立社会保障センターのようなところから、
「手術の申請を受け付けました」、という受領証のようなものが届きました。


と、ここで新型コロナウイルス(Covid-19)による緊急事態宣言が。


推測するに、このためにただでさえ待たされるものが、更に待たされたのだと思います。そこから何の音沙汰もないまま4月末、やっと手術をしてくれる病院の住所が書かれた手紙が届きました。

ついでにコロナウイルスのお陰(!)で店を開けずにデリバリーをするようになったから、立ち時間が大幅に減り、くるぶし近くにできていた潰瘍は閉じ、症状は少しだけ軽くなっていました。

公立からプライベートの病院へバトンタッチ


てっきり、ラゴスかPortimão(ポルチマォン)の公立病院で手術になる、と思っていたのに、その手紙にある病院はポルチマォンのプライベートの病院。
何でも、公立とプライベートの病院の間で相互契約みたいなものがあり、手術をさばくために公立からプライベートへ患者を回しているのだそうです。

ということで、その手紙を持って指定されたポルチマォンのプライベートの病院へ。そこで受付を済ませ、来週中には診察の連絡をするから、と言われて帰ってきました。
その言葉通り、週明けに病院から連絡があり、その週末には診察を受けることができました(5月29日)。
11月25日にラゴスの病院で診察を受けてから、ここにたどり着くまでに実に6か月。
う~~ん、長い。本当に長い。

そこで、やっとその病院で手術をします、という用紙にサインをし、まず検査をしてそれから手術は恐らく7月になる、と説明を受け帰ってきました。

血液検査も胸部のX線結果もあるのに、この病院で再び検査をしないとならないそうです。

そして諸々の検査


5月29日の診察から1か月強、7月3日に検査に来るように連絡が来ました。
散々待つことに慣れていたので1ヶ月で連絡が来たことに「お、意外にはやい!」と思ってしまう始末。全然速くないんだけど。

7月3日、指定された時間に病院へ。そこで胸のレントゲン、血液検査、心電図とすでに半年前ほどにやったことと全く同じことをされ、残るは後日別の病院で受けなければならないコロナウイルス検査。面倒くさいけれどしょうがない。

ちなみに今回の胸のレントゲン検査で初めて、

「あなたの肺は標準より大きい」

と言われました。
ある時期に、約10年間、ほぼ毎日水泳をやっていたせいか?自分の体にまつわる意外な発見でした。

プライベートクリニックなので検査費用など法外にかかるのかも、なんて思っていたのですが、10ユーロ(1200円強)で済みました。

火曜日にコロナウイルス検査を受け、結果が陰性なら木曜日についに手術です。

で、このコロナウイルス検査は別のもっと大きいプライベートの病院へ行かなければならず、それだけは80ユーロ(1万円弱)かかりました。このパンデミックの最中に結果が陰性でなければ手術は受けられない、と言われて、その状況は理解するけれどもそれでも80ユーロは高くないかい?と正直思いました。
そしてこのコロナウイルス検査が、綿棒をもっと長くしたようなものを鼻に突っ込む検査方法なのですが、なかなかもって痛いというか、不快というかとても気分の悪いものでした。

手術当日


7月9日木曜日、病院へ行く時間は午前11時。事前に来た電話で、当日は朝7時から食事はダメ、水も含めて水分もとってはダメ。
ただ、連絡をくれた人はただの必要事項を伝える連絡係らしく、詳しいことには何も答えてくれませんでした。
  • 手術にかかる時間は。
  • 手術の後は家に帰れるのか、病院に泊まるのか。
  • 手術の後はしばらく動くことも制限されるのか、それとも歩くことができるのか。
  • 術後、回復するまでにおおよそどのくらいかかるのか。
などなど。
連絡をくれた彼女はそういうことは一切分からず、当日担当医に聞いてください、と。対応はとても丁寧だったけど┐(´д`)┌ヤレヤレ。

ポルトガルらしいアバウトさというかなんというか。
でも、その緩さがある意味、僕の緊張感を少し和らげてくれた気もします。

ということで、病院で一泊になってもいいように最低限のものは用意していざ病院へ出発。

病院には言われていた午前11時の10分前ほどに到着。受付で名前を告げて、しばらく待っていると看護師さんが一人現れて、手術病棟に案内されました。

そこで入院するための部屋の1つに案内され、そこで手術のための準備。
部屋にベッドが2つあり、1つにはすでに50歳くらいとおぼしきやはり手術待ちのポルトガル人男性の患者さんがいました。


看護師さんが、
「こちら, o senhor YAMAMOTO」
「こちら, o senhor Zé (ゼ)」
とそれぞれ紹介され、自然な流れとしてその Senhor Zé から、
「Bom dia Sr. YAMAMOTO. Tudo bem?」(山本さん、こんにちは。げんき?)

まぁ、元気ならこんなところにいないんだけど…

因みに Zé (ゼ) とはポルトガルで最も一般的な名前の1つである José (ジョゼ) の愛称です。 


部屋についている洗面所で、服は全部脱いで、病院から渡された服に着替え、脚の手術なので、脚の上から下まで、股の間も全部毛を剃られて(初体験!)ベッドへ。
そこで血圧から体温から血糖値まで調べて、左手の甲にカテーテル挿入。
この針を刺される感覚が大して痛くなくても好きになれない。
自分の体に針が刺さっていると思うだけで緊張してしまいます。

病院のベッドに横たわる


これで手術への準備完了。
でも、先に隣りの Senhor Zé がベッドごと手術室へ運ばれて行きました。
「Adeus, Senhor YAMAMOTO」(さようなら、山本さん)
と言いながら。

いや、無事に帰って来るんだよ Senhor Zé!


そしてしばらくすると、空になったベッドが戻ってきました。
「あ~、ついに彼は手術台に乗ったのかぁ」



彼が戻ってきたら次は自分の番、と思うとまんじりともせず、時間つぶしのためと持ってきたキンドルにも結局集中できないまま、時にウトウトしながらが待っていると、看護師さんが Senhor Zé のベッドを運び出していきました。
「手術が終わったんだ。いよいよ自分の番」


しばらくするとベッドに入った Senhor Zé が戻ってきました。
全身麻酔だったようで、うわ言のように「変な気分だぁ~」と言いながら。
自分も数時間後にはこうなってるのかな、と思っていると、ついに迎えが来ました。

 Vamos!

そして先ほどの Senhor Zé の時と同じようにベッドごと連れ出され、手術室へと向かいました。


いよいよ、生まれて初めての手術。

麻酔は痛いんだろうか、
どのくらい時間がかかるんだろう、
そして問題も事故もなく無事手術は終わるんだろうか、

それこそ走馬灯のように、でも全く纏まることもなく取り留めもなく色々な思いが浮かびました。

でも同時に、

やっと手術までこぎつけた、これが終われば回復に向かう、もう後は成すように成れ(というのはちょっと大げさだけれど)、という思いもあり、自分でも意外なほど心は落ち着いていました。もっと心拍数が上がると思ってたんですけどね。

運ばれてきた病室のベットから手術用のベットに移動させられ、そのベッドで手術室へ入ったちょうどドアの上に時計がかけてあり時間は午後3時30分になろうとしているところでした。
逆算すると、先の Senhor Zé の手術に2時間30分ほどかかっていたことになります。
自分も同じくらいかかるのだろうか、思いながら手術室に運ばれて行きました。

(続く)



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