まず目指すは、8世紀北アフリカから侵攻してきたアラブ人との戦いに勝利しレコンキスタ(Reconquista : 国土回復運動)のきっかけを作ったと言われる場所、コバドンガ(Covadonga)へ。
ガリシア地方から高速道路A8でアストゥリアス方面に入り、途中で高速を降りAS260号線を内陸方面に入っていきます。
ちょっと細めの道をうねうねと蛇行しながら登っていくとその途中、展望台からの景色。
Mirador del Fitu というところです(Miradorは展望台というような意味です)。今回の旅行は雨が多かったけれどこの日は晴れました。😀 見えている海は大西洋。
ここから更に山の方へ進んでいきます。
ちょうど雨が降り続いた直後だったこともあり、道路わきいたるところで水が流れていました。日本の田舎の景色をちょっと思わせます。
途中から標識にもコバドンガが現れるのでそれに従って行くと、次第に駐車場が増えていきます。夏場、相当な数の人が来ることが想像できます。
この時期はどの駐車場も全く車が止まっていなかったけれど、それらを全て通り越し見えてきました、コバドンガの大聖堂が。
と、そのちょっと手前で車は入れなくなるのでその手前の駐車場に車を止め、大聖堂の方を目指すとまず、聖なる洞窟(Cueva de Snata Maria)があります。
岩を掘って作った空間に造られたチャペルはそれだけで十分にインパクトがありますが、それに加えて印象的だったのがその下にある滝。かなりの勢いで水が落ちていました。
建物の下から水が出ている、不思議な光景です。
本来ならこの滝つぼにアクセスする道が左側にあるのですが、あまりの水の勢いにとてもそこまで行くことはできませんでした。この寒い中、濡れても構わないのであればもちろん行くことはできます。立ち入り禁止にはなってません。
ここはレコンキスタ(国土回復運動)始まりの地。
時は8世紀、北アフリカから侵攻してきたウマイヤ朝ムスリムがイベリア半島を征服していた時代、アストゥリアス王国の建国者ペラーヨがキリスト教徒軍を率いて、ついにこの地でムスリム軍に勝利します(722年)。
その勝利がきっかけとなりレコンキスタが起こり、この運動は1492年ナスル朝のグラナダ陥落まで続きます。
このコバドンガの戦いの勝利を記念し、「コバドンガの聖母」そしてペラーヨがこのチャペルに祀られています。
そしてこの方がペラーヨさんです。
もともとはコバドンガの聖母も祀る教会があったけれど、それが1777年に焼失してしまい、アルフォンソ12世の後援で工事が始まり、このような大聖堂(バジリカ)になったそうです。
ガリシア地方やこのアストゥリアスに来ると、同じスペインであるはずのアンダルシア地方がとても遠いところのように思えます。スペインはかなり地元意識が強いようで、それは例えばカタルーニャ地方(バルセロナ)では今でもスペインからの独立運動が盛んであることから、あるいはガリシア地方やバスク地方に行くとその土地の言葉とスペイン語で標識が併記されていたりするところからもうかがえます。
歴史的に北はキリスト教の、南はイスラム教の影響が強かったことなどもその土地その土地の意識の違いになって現れるのでしょうね。
この後は、念願だったアストゥリアスにあるパラドール・コリアスに向かいます。
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